2021年が始まり1週間ほど。
案件でバタバタしていたときに、スマホに知らない番号の着信あり。出たところ、年末に針生検(CNB)を受けたクリニックからのものでした。
結果でるのにちょっと時間がかかるってことで1月半ばに入れてたんだけど…?
早めに結果出たのでお知らせをできれば~ということで、翌日の土曜日1/8にお邪魔してきました。
電話きった後は深く考えず、早く結果出たんでお知らせを~って良心的なクリニックだなぁ~っておもってたんだけど。
振り返ってみたら、
早くお知らせしたほうがいい結果だったから
だよね…ああ、全くそこまで思い至らなかった…
乳がん告知はさらっと、突然でした
お休みの夫氏とお出かけ。
家族も一緒にとか言われなかったし、結果は問題なし、ってことだろうってことで、夫氏は近くのヨドバシカメラで買いものをしてもらい、一人クリニックへGO!
予約時間から待つことなく、先生のところへ。
検査してくれた院長先生は普通の感じ。
で、検査結果。
(告知を受けた衝撃が大きかったのか、思い出そうとしても結構記憶があやふやだわ…)
今回の検査結果なんですが、乳がんでした。
ん????
なんでもないんじゃなくて???
何を言われたのか頭に入ってこず…きょとんとしてた私に先生が図を描いてくれました。
乳がんの状況説明
梨丸さんのがんは、乳腺の中をころころ~っと広がってくがんで「非浸潤性乳管がん」って言われるタイプのがんです(図でいうところの真ん中の川が乳管で、左上か中央の黒丸がガンでぽこぽこって増えていくんだよ、教えてくれました)
乳管から癌が外に浸潤いくのが浸潤性乳がん(図でいうところの右下の丸い円が乳管の壁を突き破って外に出て行く状態)
まだ乳管の中にあるタイプのものだからね、悪いところを取れば治療は終わりなんです。
穏やかな先生の言葉だったんですが、頭が追いつかず、指先がめちゃくちゃ冷たくなってて血の気が引いてました。
あれ、がんって言った???でも取ったら終わり…?????
先生が持っていた病理診断の紙、いただきました。
なんか見知らぬ医療用語がたくさん書いてあって、そのあと必死に調べました。
先生が、非浸潤性なら取ったら治療は終わりだからね、早期だからねって言ってくれたのがぼんやり記憶に残ってます。どうやって会計したのか(財布からお金を出して支払ったのは確実だけど)その日の記憶は霞ががってて、一つ感覚があるのは指先が冷たく嫌な感じ。この感覚は、初めてでです。今も気になる嫌な情報に出くわすたびに出てくる感覚。自分の中の拒否反応なんだろうな…
専門病院の紹介の話
先生から、都内の専門病院をいくつか候補をいただきました。私立、都立、国立とどの病院も症例数が多く、学会の座長を務めるKOLの先生方が在籍されている病院とのこと。
ただ、新型コロナウイルス感染症の受け入れもあるので、手術のタイミングなども病院によっては遅くなるかもしれないというお話もいただきました。
自分の命を左右する病院選び。今まで体験したことないからどうしたらいいのか、突然の告知もあって即答はできません…急がないということだったので(とはいえ、自分はできるだけ早く治療して欲しいからもどかしい気も大きかったけど)週末に旦那さんや仲の良い医療関係の情報に私よりも強い友達と相談して、週明けクリニックへ電話でお知らせすることにしました。
告知後、最初に連絡したのは旦那さん
近くで買い物をして待っていてくれた旦那さん。
ふらっとクリックをでて待ち合わせ場所連絡しなきゃな~って冷静になれっておもう部分と結果は早く言わなくちゃ…まだはじまったばかりなのに、ごめんっておもう自分といろんなのが交差。
で、ラインで。さらっと元気よく
検査結果がよくなくて、ステージ0っぽい~って報告をしたのでした。
わかった
って、旦那さんからはシンプルな返事。
待ち合わせのお店へ向かう間にめちゃくちゃ検索してくれてたっぽい。会った後、お店でコーヒーがでるまでに予後はいいやつでしょってさらって言われてちょっと驚いた自分でした。
移動まで少し時間があったので、待ち合わせ場所までぼんやり人のとおりがない裏道を歩いてました。
母に伝える
ああでも、もう一件連絡しとこっておもったのが、母。
もうちょっと詳しくわかってからとちらっとおもったけれど、何でも話をしてきたのでえいやと電話。
もうね、いつもの母ののんきな声を聞いたら(そりゃ何も伝えてないから当たり前なんだけど)こみ上げてきたいろいろがほとばしって、号泣してしまった。嗚咽するほど泣くのはいつぶりだろうってぐらいのしゃくりあげのなき。
道路(裏道だけで)で何から話したらいいのかもわからなくて、説明しようって言葉にしたいのに声にならなかった。
乳がんがわかって、上下気持ちはアップダウンすることがおおくて悲しくて苦しくて…だったけど、今のところ(手術直前まで)泣いたのは母の前だけでした。
「取ってもらったらいいよ、周りにも乳がんの経験者はたくさんいるから」
って言われて、泣いて。
「旦那さんの子供、作れないかも…」
って、言って、声を上げて泣きました。
私は子供がもてないのがつらいんだってこのときおもったんでした。
告知されて出てきたいろんな感情。ショックだったり悲しいだったりなんで?だったりが大きくて、子供ができるかどうか(妊孕性)は小さかったのに、母の穏やかな声をきいたらその感情が爆発してしまいました。私は40も半ばで、かなり妊娠率は低いこともわかってて旦那さんも積極的ではないからどうしようかな、っておもってた不妊治療。でも乳がん発覚で、それが崩れて…言葉がにでてこなかった。
ただ。ひとしきり泣いたら、不思議とすっきりできました。母も明るかったから救われました。そうだよね、不幸中の早期で発見できた。予後はとてもよい病気だし。鼻水と涙を拭いて、すっきりした気持ちで旦那さんとの待ち合わせ場所へ向かうことができたのでした。
とはいえ。
このときはすっきりしたし、ここから泣くことはなかったけど、気持ちのアップダウンは、専門病院選定~精密検査~方針決定、手術を目前にしてもまだまだ続きます…
以上、乳がん告知は突然にでした。
梨丸の場合を備忘録として記載しています。症状や状況によって、処方や治療内容は異なります。
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